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雷の話/古代のロマンと雷災害事例

古代のロマンと雷災害事例
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雷という文字の由来〜古代からの雷をめぐる神々のロマン

「雷」という文字は、「カミナリ」とか「イカヅチ」とも読みます。「イカヅチ」は一説によると、日本神話で有名なイザナミ・イザナキの神に関連しているらしいのです。類語のイザナフ・イザリ・イザリビなどのイザは何かというと、山上憶良が万葉集巻一・六三に詠んでいる感動詞です。
去来子等 早日本辺 大伴乃 御津乃浜松 待恋奴良武
(いざ子供 早く日本(ヤマト)へ 大伴の み津の浜松 待ち恋ひぬらむ)
と詠んでいる感動詞であり、それは或人が誰かを誘ったり、自分が積極的に何ごとかをしようとする時に発する語ですが、漢語の「率」と「去来」をそれに当てています。
率 ミチヒク、ヒク、ヒキイル イル イサナウ(「名義抄」)
これからすると、イザはもともと「引く」ということで、それが男女二神であることは、すなわち引き合う神のことです。
「去来」には「率」の意味はなく、もともと行ったり来たりすることです。イザナミ、イザナキのミは女性、キは男性、ナは助詞ノに当たります。要するに、イザナミは引き合う女、イザナキは引き合う男で、中国の陰と陽とを擬人化したまでのことであるといいます。
しかしこの陰陽二神を、空想上に成り立った架空の神とすることはできなく、ある特定の自然現象の説明であり、自然現象の神であったといいます。そしてイザナミの神の死骸に雷が取り憑いているという神話があります。
八の雷(やくさのいかづち)と所謂(い)ふは、首(かしら)に在るは、大雷(おおいかづち)と曰(い)ふ。胸に在るは、火雷(ほのいかづち)と曰ふ。腹に在るは、土雷(つちのいかづち)と曰ふ。背(そびら)に在るは、稚雷(わかいかづち)と曰ふ。尻(かくれ)に在るは、黒雷(くろいかづち)と曰ふ。手に在るは、山雷(やまつち)と曰ふ。足の上に在るは、野雷(のつち)と曰ふ。陰(ほと)の上に在るは、裂雷(さくいかづち)と曰ふ。(「日本書記 神代上 第五段一書第九」)
ここに書かれているイカヅチは、「大雷」は近雷、「稚雷」は遠雷、「火雷」は放電雷、「黒雷」は落雷による火災、「裂雷」は落雷による裂木、「土雷」は土地への落雷、「山雷」「野雷」は山野に落ちる雷を意味してます。
これらは雷現象のほとんどを網羅していて、陰神イザナミは雷であったといいます。男の怒りを雷鳴(鳴神)に例えたり、単に「神」とも言ったことから、雷の名称が怒りに出ているのが分かります。
「伊加都知(イカヅチ)」のイカはイカル(怒)の語幹であり、ヅは助詞、チは以下のような語尾の知・智で、蛇形の化物です。
遠呂智(オロチ)〜大蛇(屋根の化物)
美都知(ミヅチ)〜鮫竜(水に住む竜)
久久能智(ククノチ)〜木神(木に珠る蛇)
軻遇突知(カグツチ)〜火神(熔岩流)
怒声の雷鳴と、蛇形の雷光が合ってできた名称が、イカヅチであったと言えるらしいのです。

陰と陽(−と+)
雷電(イナツルキ、イナツルビ)のツルキは、剣(ツルギ)と同じで、剣の用法であるツラヌク(貫)から出た名称ですが、鞘に刀身を納めることからツルギ太刀(たち)とも言いました。
ツルビ・ツルミも雌の陰部に雄の陽物を差し込むことで、現代でも動物が交尾することを、山形・福島・埼玉・岐阜・福井・大阪・福岡・熊本などでツルムと言っています。
イナヅマのツマも、古代では妻だけを指すのではなく、夫も夫婦もツマといいました。これは、ムツブ(睦)がツブを経て、ツムからツマとなったと考えられます。これも夫婦の結合から出ています。
イナツルビ・イナヅマのイナは、従来稲と誤解していたらしいのですが、このイナは稲でなく、イザナの簡略化で、「イザナツルビ・イザナムツビ」が、イナツルビ・イナヅマになったようです。イナツルビもイナヅマも、陰陽のイザナミ・イザナキの二神が性交する姿ということでした。
中国でも陰陽の両気が切迫し、感応して雷となり、激突してイナヅマ(雷光)となると考えられていました。では雷の母体は何であったでしょうか、それは雷雲です。陰陽のイザナミ・イザナキは、一つの雷雲の中における陰と陽の神と考えられていたようです。
このように我々の祖先たちは、現代にも通じるような陰と陽(−と+)の原理を見越していたことになります。これは驚くべき事実であり、一般に言う「昔の人が言ったことは科学性に乏しい」などと馬鹿にできない一例です。

 

神々の神秘、天空の戦い


雷は洋の東西、太古の昔から畏敬の対象

 
大自然のなせる技とはいえ、雷は科学の発達した現在でも不思議な現象の一つです。強い雷光と大きな雷鳴、人畜を殺傷し、火災を起こし、交通機関を止め、停電を起こすなど二次災害も大きく、私ども現在の人間にも心理的・社会的脅威となっていることは、誰も否定しないと思います。
西洋でキリストが没した時、神の怒りで大雷雨になり多勢の兵士が死亡したとか、昔の戦争で雷雨のため、その勝負が逆転したとか、雷雨が人間の心理に変化を起こさせ、劇的な結果、史実が生まれたとか、歴史上・文学上の幾多の場面に取り入れられ、それが大きな効果・要因になっていることを考えると、まだ雷は神秘性を持っていることになります。
我が国で雷といえば、虎の革のフンドシをしめ、たくさんの太鼓を背負って、雲の上から下界を眺めている鬼の姿を思い起こします。皆様も子供の頃、昼寝の時母親から「オヘソを出して寝ていると、カミナリサマにオヘソを取られて、佃煮にされてしまうよ!」などと言われたことがあると思います。
それくらい雷は、良いにつて悪いにつけ、人々の心に、ある種の親しみを持った、神秘的なコワイモノとして映っているのではないでしょうか。




歴史上の雷災事例
670
(天智天皇9)
5.27
雷震で法隆寺災、一宇を遺さず
730
(天平2)
7.22
雷震神祗官屋災、人畜往々震死
750
(天平勝宝2)
7.6
雷震中山寺塔並に歩廊を燼く
780
(宝亀11)
3.1
京數寺雷火
782
(延暦元)
8.20
大蔵東長蔵雷火
884
(元慶8)
4.18
常住寺塔雷火
886
(仁和2)
4.24
東寺新道塔火、時人雷火説
994
(正暦5)
8.20
高野中院雷火焼燼
1055
(天喜3)
9.20
東寺塔雷火
1140
(保延6)
6.9
法成寺西堂雷火焼亡
1208
(承元2)
7.6
京都雷火、法勝寺九重塔雷火焼亡
1264
(文永元)
7.29
吉野大塔藏王堂及其他雷火焼亡
1356
(正平11)
3.27
御堂及東金堂雷火焼
1362
(正平17)
2.16
東大寺塔婆雷火
1660
(萬治3)
7.25
大阪城内雷火
1665
(寛文5)
2.16
大阪城天守雷火
1750
(寛延3)
9.26
京都二条城天守雷火
1783
(天明3)
12.4
大阪城正門雷火
1798
(寛政10)
8.12
京都大佛雷火
1847
(弘化4)
9.5
和歌山城雷火、天守櫓、多門共焼亡

 
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